植物の達人~西畠清順~

植物の達人~西畠清順~

植物の達人~西畠清順さんについて~

こんにちは~!

植物の達人ということで、これまで植物に携わる職業について紹介してきました。
そして今回ですが、植物の達人ともいえるような仕事をしている人たちを具体的にピックアップして紹介していきたいと思います。

以前プラントハンターの記事で少し紹介したことがありますが、今回はプラントハンターとして世界的にも有名な「西畠清順さん」について紹介していきたいと思います(^^)/

改めてみなさんはプラントハンターをご存知でしょうか?
過去の記事を読んだ方はおわかりかもしれませんが、初めて見る方もいらっしゃると思うのでもう一度説明します!

プラントハンターとは、主に17世紀頃からのヨーロッパで食料・香料・薬・繊維等に利用される有用植物や、観賞用植物を世界中に採りに行っていたひとたちのことです。当時のヨーロッパは、園芸ブームで王や貴族、政府までもが植物と栽培に精通した者を、世界中に送っていました。プラントハンターは時には命をかけ、植物を探しに行きました。そして400年以上が経った今でもそんなプラントハンターの精神を継ぐ人たちがいます。

現代のプラントハンターは昔とは違い、観賞用の植物がほとんどです。彼らは、そんな「心に届く植物」を世界中から運んでいます。聞きなれない職業ですが、植物や旅が好きな人にはすごく魅力的だと思います。自分が運んだ植物で人に感動を与えられることはやりがいにもなりそうです。しかし命の危険を冒すことさえも「おもしろい」と思えるくらいの好奇心や行動力が必要です。

プラントハンターについてはだいたいお分かりいただけたと思います。そんな現代のプラントハンターとしては、西畠清順さんが有名です!

西畠清順さんについて、簡単に紹介していきます

西畠清順さんについて

1980年兵庫県に生まれ、幕末より150年間続く花と植木の卸問屋「花宇」の5代目を継いでいます。さらに2012年に、『そら植物園』の活動をスタートさせ、現在では生花、園芸植物の販売・仲卸業及びコンサルティング事業を経営するそら植物園株式会社代表取締役、そら植物園コンサルタント株式会社代表取締役を務めています。そして世界中をまわり新しい植物を求めるプラントハンターとしても注目されています!ここからもわかるように、ほんとにさまざまな活動をしている方なので、その一部をもっと詳しく紹介していきたいと思います。

小さいころから植物に囲まれていた西畠清順さんですが、植物には興味がなく、どちらかと言えばスポーツに夢中な学生時代を送っていました。西畠清順さんが興味があったスポーツは、野球や拳法、格闘技とさまざまです。スポーツ選手になりたいという夢を抱いたこともあったそうです。

そのために英語が必要と思った西畠清順さんは、高校を卒業後、オーストラリアに行き、語学のスキルを磨きました。そこでもサーフィンや格闘技にハマってしまったとか!オーストラリアで一番強いと言われたリック・ディディオという格闘家に弟子入りまでしたそうです。中学、高校と野球少年で制限の多い生活を送っていた彼は、オーストラリアでの自由奔放な生活を楽しみました。色々な国の人と自由な空気の中で触れ合ったことは、今の西畠清順さんにも大きく影響していそうです。

その後、そこで身に付けた語学力をつかって、世界中を旅します。まずはそしてその旅の最後に訪れた東南アジアのボルネオ島で運命の出会いがあります。ボルネオ島のキナバル山に登った際に、世界で一番巨大な食虫植物、ネペンテス・ラジャに感動を受けます。西畠清順さんはその植物の圧倒的な存在感に度肝を抜かれたそうです。この出会いが彼の人生を変えました。

そしてこれがきっかけで植物の魅力を知った西畠清順さんは、そこから植物まみれの人生に足を踏みいれることになります。帰国後は毎日山に行って、売れそうな枝や木を探したり、入ってきた注文に合いそうな植物を探してみたりと花宇の仕事をし始めました。今まで野球やサーフィンなどさまざまなことにハマった西畠清順さんですが、植物はそれを超える衝撃と感動を与えたそうです。彼の気性とはまったんでしょうね!

プラントハンターになったきっかけだけを見ても、西畠清順さんが行動力のある方だということがわかります。そんな西畠清順さんに衝撃を与えたネペンテス・ラジャがとても気になったので少し調べてみましたが、色は真っ赤で食虫植物としては「超」がつくほど巨大なものでした。

ネペンテスは食虫植物、ラジャは王と訳せるので、「食虫植物の王様」とも呼ばれています。植物でありながら虫を食べるのですが、時にはネズミなどの小動物を食べるときもあるのだとか。開口部分は大きいもので40センチを超え、そこに繋がる捕虫袋にはなんと3.5リットルもの消化液があります。想像がつきません(笑) かなり恐ろしい植物です!西畠清順さんに影響を与えたわけもわかります。

帰国後、西畠清順さんは家業に入ります。お父さんの仕事を手伝うためにフィリピンに渡ったときの話です。西畠清順さんのお父さんは日本の珍しい植物を、フィリピンのある大富豪に届ける仕事をしていました。その大富豪は、豪邸や高級車はもちろん、自家用ジェットや自分専用のガソリンスタンドまで持っていると桁違いのお金持ちでした。その人は大金を使って、世界中から珍しい植物を集めていました。なぜ植物なんだろうと思う方も多いかもしれません。私なら正直違うものを集めると思います(笑) 

そこで西畠清順さんはその人の部下に、「なんで彼は植物を集めているのか」と聞いてみたそうです。すると「彼はすでに欲しいものは全部持っているんですよ。すべてを手に入れて、最後に欲しくなったもの、それが植物だったんです」という答えが返ってきました。先ほど17世紀のヨーロッパでも貴族がプラントハンターを派遣して植物を採らせてきたなんて話がありましたが、貴族もこの大富豪と同じく最後に手に入れたくなったのは植物だったのかもしれません。

プラントハンターになりたくさんの植物に触れた西畠清順さんは、「今なら彼の気持ちがわかります。」と言います。西畠清順さんは、植物には人を引き寄せる不思議な魅力があり、物質では埋められない心の豊かさを与えてくれると考えます。プラントハンターの使命もそこにありそうですね。

西畠清順さんのプラントハンターとしての大仕事にオリーブの木の植樹があります。ヨーロッパに植物の買い付けに行き、スペイン人のバイヤーの自宅に行ったとき、そこで樹齢1000年を超えるオリーブの老木に出会います。太さは三メートル以上もあり、木の表面は固く、存在感のある木だったそうです。そのオリーブの木に感動し、どうにか日本に運び、みんなに見てほしいと思ったことが始まりでした。これこそが西畠清順さんが求める「ひとの心を豊かにする木」だと思ったそうです。そこから西畠清順さんの挑戦が始まります。まずはオリーブを日本に運ぶことを、植木屋や業者などの関係者に相談をしました。しかしみな口をそろえて無理だろうとばかり。オリーブの大きさ、輸送距離の長さ、さまざまな面で輸送は不可能だと言われてしまいます。

その後二人の男との出会いが西畠清順さんにチャンスを与えます。ひとり目は、スペイン人のバイヤー、ハビエルでさんです。西畠清順さんは情報交換も含め、ハビエルの自宅を訪ねました。ハビエルさんは西畠清順さんが持っている破格の大きさのソテツという植物に興味を持ちました。そこでそのソテツをバレンシアガーデンショーに出すことを勧めてきました。そのガーデンショーは、おもしろい植物が集まる展示会として近年ヨーロッパでも注目を集めているそうです。

ヨーロッパの業者はそのソテツを欲しがるだろうし、もしそうなったら西畠清順さんの名前はヨーロッパに知れ渡るだろうというのです。その声を信じ、西畠清順さんはハビエルさんと協力してソテツを出品すると決めます。そのショーでさらなる出会いがあります。その展示会には、樹齢150年を超える大きなソテツを出品しました。それはすごく好評で、ブースにはたくさんの業者が集まり、人が絶えることはなかったそうです。そして展示会の終わりかけ、西畠清順さんのブースに一人の男がやってきます。

そこにやってきたのは、スペインの植木会社の社長・アルベルトさんです。彼は、西畠清順さんがオリーブを日本に運ぼうとしていることを聞きつけ、話をしにきました。そしてアルベルトさんは西畠清順さんの気合いとおもしろさを気に入り、オリーブ輸入のパートナーとして名乗りをあげました。そこから帰国後も打ち合わせを重ね、輸送する際の処置や輸送方法を検討しました。

まずは樹齢200年~700年ほどのオリーブの木を仕入れようとしていたのですが、買い手が決まっていない状態での仕入れだったので、なかなか決断をくだせずにいたそうです。悩んでいた西畠清順さんはそれをお父さんに相談します。意外なことに「やってみろ」との答えが返ってきます。この言葉が最後の一押しとなって、ついにオリーブの輸入を実行します。オリーブの木は日本に到着し、2週間後にオリーブは小さな芽を出しました。輸入は成功です!

そしてこの一連のプロジェクトを聞きつけ、樹齢1000年のオリーブを買いたいと名乗りをあげる人が現れます。オリーブの木に心を奪われてから5年、ついに樹齢1000年のオリーブは日本に上陸しました。

不可能と言われていたことを、さまざまな角度から突き詰めていき可能にしてしまう西畠清順さん。かっこいいですね~!オリーブを見た時の感動を他の人にも味わってほしいという想いが彼を動かしたように思えます。樹齢1000年のオリーブを買ったのは、小豆島でオリーブの森をつくっている方だそうです。このオリーブは今でも小豆島の人々を元気づけています。近年では西畠清順さんの運ぶオリーブが日本の都市に新しい景観を生み出しています。まさに人の心に届く植物を運ぶ、現代のプラントハンターです!

もう一つ西畠清順さんがした仕事の中で大きなのにパラボラッチョの植樹があります。
パラボラッチョはアルゼンチンが原産で「酔っぱらいの木」という意味がります。丸々と太った幹が、ビールを飲み過ぎた腹に似ていることからその名が付いたそうです。しかも、黄色やピンクの花を咲かせ、その後実もできるというなんとも不思議な植物です。この木が都会に植えられていたら、道行く人は絶対衝撃を受けるだろうと西畠清順さんは思います。

なんとかして日本に持ち帰りたいという情熱がまた西畠清順さんを動かします。そしてオリーブの時と同様、買い手は見つかっていない状態での仕入れなのでリスクが伴いますが、西畠清順さんは覚悟決め、アルゼンチンに飛び立ちます。まず森に行き、広く歩き、理想の形や大きさのパラボラッチョを探すことにしました。真っ先に見つけたやパラボラッチョは高さ約8メートルで太く立派なものでした。

しかし現地の人によると、この一帯はアルゼンチン政府や州の許可が下りていないので採取できなかったそうで、その木を諦めて、独自の勘で森を進んでいきます。そして探し始めてから2時間。ついに理想のパラボラッチョに出会います。しかし近付いてみるとすでに根の周りが彫られ、太い枝が切られていました。数年前に掘り出し作業をしてそのままだったようです。

ここで西畠清順さんの木の健康診断がはじまります。五感を使って木の健康状態を見極めていきます。まずはノコギリと手斧で根を切り落として、切り口の匂いを嗅ぎます。腐っているところは、酸っぱいような匂いがするそうです。格闘の末、多少は弱っているものの根は問題ないとの判断でした。次に枝を見ていきます。慎重に枝を切り進めて行き、一番太い枝を切ったとき、そこが腐っていて、白アリの巣があることに気付きます。結果としてもし日本に持ち帰れたとしても、ここから腐ってしまう可能性が高いとして、輸入はできないとの判断をしました。理想のパラボラッチョに出会うのは簡単なことではないのですね。

探し続ける事2日間、蚊やダニに食われながらも森を歩き続け、なんとか4本のパラボラッチョを見つけました。そこから掘り出す作業に入ります。この堀り出し作業は、樹を伐採するわけではなく、「生きたまま運ぶ」という独自の技術が必要でした。重さ3トンを超える大木であるため、大事故も起こりかねないです。細心の注意を払いながら作業を進めて行きます。

前夜の雨で機械が動かなくなってしまうなどのトラブルにあいながらも、なんとか掘り出しに成功しました。西畠清順さんのズボンはびりびりに破け、腕には太い傷跡ができました。とげだらけのパラボラッチョにと真剣に向き合った証です。ここからは日本での検疫を突破するために、処置を施します。日本の検疫は世界でもトップクラスに厳しく、蟻を一匹でも持ち込んだら不合格です。

そのため徹底的に処置を施します。森から運んできたパラボラッチョを念入りに洗い、古い根をカットし、根と根の間の土を落としていきます。その後根や枝をきれいにカットし直し、そこに防腐剤を塗りクレーンでつって仮植えをします。ここまでの作業でなんと2日間もかかったそうです。海外から大木を運ぶのは、技術も必要ですが、なによりも熱意が必要なんですね。

そして掘り出したパラボラッチョですが、船の手配が付かずなかなか日本に仕入れることができないでいました。はやく運び出さないと最悪の場合枯れてしまいます。そこで西畠清順さんは最後の手段で空輸を思いつきます。おそらく高さ6メートル、重さ3トンもの巨木の空輸は世界初だったと思われます。あらゆる運送会社に相談しますが、前例がないとして断られつづけてしまいます。

ついに一社受けてくれる会社が見つかりましたが、費用が1000万円ほどかかるとのこと。経済的なリスクを承知で西畠清順さんは空輸を決めます。これほどの巨木を空輸することは、前例がなかったため、到着予定の成田空港やパラボラッチョを乗せる飛行機会社の関係者でシュミレーションが行われました。飛行機に乗せた時の期待のバランスや巨木入れるコンテナがあるのかなど、不安要素はたくさんありましたが、なんとかすべてクリアしました。そしてようやく成田にパラボラッチョが到着し、植物検疫がはじまります。

植物防疫官が懐中電灯で念入りにチェックします。その結果は植物検疫合格!ついに5か月後アルゼンチンで格闘したパラボラッチョは、西畠清順さんのもとに届きました。その後このパラボラッチョは東京神宮外苑で行われた「TOKYO DESIGNERS WEEK」というイベントの会場中心に植えられました。そして多くの人がパラボラッチョに魅了されました。

プラントハンターとして世界中を回る西畠清順さんですが、時には困難もつきものです。命に関わるような危険な体験もたくさんしているの、少し紹介できればなと思います。

西畠清順さんが体験したこととは?

その中でも虫とは切っても切れない円だそうです。森、林、竹やジャングルなど植物を追い求めていると虫の住処に勝手に侵入していることになるので怒りを買うことも当然です。ハチに刺されるのは日常茶飯事で、ほかにもさまざまな虫に刺されたことがあるそうです。ボルネオ島で森に入っていたっときは死の危険までも感じたとか。魅力的なヤシの木を見つけ、採取しようノコギリを入れた瞬間、黒い粉が西畠清順さんに降りかかります。急いで振り払い、よく見るとそれは蟻でした。

日本で見るものよりも小さく、よく見ないと蟻と気付かないほどだったそうです。そしてその直後全身が燃えるように熱くなり、そのまま倒れこみます。それと同時に激しいかゆみと痛みが西畠清順さんを襲います。意識がもうろうとしながら友人に支えられ、近くの村まで歩きました。村人は三時間の間、西畠清順さんの体に水をかけ続けてくれてなんとか動けるまでになりました。しかしその後も熱は残り、完全に腫れが引いたのは二日後だったといいます。壮絶な体験ですね。このような体験をしてでもプラントハンターを続けるのには、それ以上に植物の素晴らしさを知っているからなんんでしょうね!

虫だけではなく天候もつきものです。植物を求めて駆け回るプラントハンターとして、天候との関係も必ずあります。時には焼けるような暑さの中、また時には凍るような寒さの中植物を求めます。さらに雨や風、雪などが脅威となるときもあります。冬の富士山に行ったときには、雪が三メートル近く積もり、立っているのが困難なほどの突風が吹いている状態だったそうです。凍傷になりながらも植物を求めます。
そして困難は自然に対するものだけでなく、人に対するものもあります。

窮地に立たされているのに言葉が通じなかったり、頑固な人を説得させないと求めている枝を切らせてもらえなかったり、そんなことも多いといいます。留学していたとはいえ、英語圏以外に行くこともあるので言葉が通じなかったりします。言葉だけでなく、宗教や文化も違います。海外の人との関わりなくしてはできない仕事であるので、さまざまな考え方を頭に入れながら付き合っていかなければなりません。

次にプラントハンターの仕事とは少し違いますが、西畠清順さんにしかできないであろう、少しロマンチックなエピソードを紹介したいと思います。

西畠清順さんエピソード

西畠清順さんは20代のころに結婚していて、奥さんがいらっしゃいます。奥さんの旧姓は「納本(オサメモト)」です。かなり珍しい名前ですよね!私も初めて聞きました。しかしこの名前は結婚する時になくなってしまいます。なんとかこの名前を永久に残したいと思った西畠清順さんは、東南アジアで見つけてきた新種の植物に「オサメモト」にちなんだ名前を付けることを思いつきます。

この植物は雪のような白い葉をもち、成長するにつれてそれが深い緑色へと変わっていきます。その様子が雪が解けて収まっていく姿に似ていることから、「オサメユキ」という名前をつけました。そしてそれを結婚式の披露宴で発表しました。奥さん、その親戚一同はすごく喜んでくれたそうです。

なんとロマンチックなエピソードでしょうか!(笑) 自分の名前がまた違う形で永久に残せて、奥さんもきっとうれしいでしょうね。これもプラントハンターとして植物を探してきた西畠清順さんにしかできないサプライズだと思います。オサメユキは2011年の夏に出荷されるようになったので、もしかしたら皆さんの近くのお花屋さんで取り扱われているかもしれません。

西畠清順さんはプラントハンターの仕事以外にも、日本各地のイベント、商業施設の植栽計画などを請け負っています。代表的なものとしては「そら植物園」での活動です。そら植物園とは「ひとの心に植物を植える」をスローガンに2012年から始まり、全国各地に活動の幅を広げています。西畠清順さんが集めた植物を用いて、さまざまな企業、行政機関などから寄せられる空間演出やランドスケープデザインなどをしています。

そら植物園のオフィスも入っている代々木VILLAGEでは世界中を代表する植物がたくさん集まり共存しています。大都会の中心に突如現れるこの植物園は、そら植物園の考え方のひとつを具現化した、多様で緑多きひとつの平和なー未来の街のカタチでもあるそうです!この庭は、うまく植物が配置されバランスや色味が整っている庭というよりは、本物の植物図鑑のなかに入ったようなイメージに近いです。

代々木VILLAGEでは、世界中から集まった植物が適当に並べて植えています。先ほど紹介したエピソードにもでてきたスペインのオリーブなども植えられています。この植物が隣同士でちゃんと育つの?などとそこに訪れた人が植物を気にするきっかけを作ることもできます。植物を見に来た人も、たまたま通りかかって中に入った人も、ここの植物を見てなにか感じると思います。

さまざまな人にさまざまな思いを抱いてもらいたい。そら植物園の活動にはそんな願いが込められています。代々木VILLAGEでは、季節に合わせたイベントも行われていて、ハロウィンにはランタンづくり、クリスマスにはリースづくりなど実際に植物に触れる機会も設けています。そのためカップルや親子ずれ、ママ友などさまざまな関係の人が訪れます。
そら植物園の活動は国内だけでなく、海外でも展開されているようです。

シンガポールの巨大な植物園「Gardens by the bay」では、開花調節の技術をつかい、日本の桜を運びました。ソメイヨシノを始めとした、なんと20種類以上の桜の他、桃の花の展示がされました。こんなにたくさんの種類の桜を一気に見るなんて、日本でもなかなかできないことだと思います。シンガポールは年中気温が高く、季節のない国です。

そんな土地で育ったシンガポールの人たちにとって、日本の四季はとても魅力的のようで、桜を見に行くために春に日本を訪れる人も多いといいます。シンガポールの人たちにとって、桜はまだまだ珍しい花のようで、イベントは大盛況だったそうです。ほかにもさまざまな技術を用いて、海外に植物を運び込みイベントを成功させています。

西畠清順さんが世界中から集めてきた植物は数知れません。ネペンテス・ラジャに感動してから今まで西畠清順さん魅了し続ける植物。そんな植物にもスポットをあてていきたいと思います。

そもそも植物の種類ってどのくらいあるの?

諸説ありますが、植物は一般的にだいたい20万~30万種といわれています。植物の中にも、被子植物、裸子植物、コケ植物、シダ植物などさまざまな分類があります。中学校で習った理科の授業を思い出します(笑) 私たちがいる地球はこの分類関係なくさまざまな種類の植物が共存しています。その一部をとって家で育てている方も多いと思います。家庭で育てられる植物の中でも、建物の中で育てることができる植物を観葉植物といいます。きっと観葉植物を育てている方も多く、身近に感じやすいと思うので、ここからは観葉植物について詳しく紹介していきたいと思います。

観葉植物の中でも、最も人気ともいえるのは「サボテン」です。サボテンは多肉植物の中のサボテン科に属します。特に砂漠にサボテンがあるイメージをお持ちの方も多いのではないでしょうか。サボテンは乾燥した砂漠や、雨の少ない土地、高山などの植物が育ちにくい過酷な環境でも生育することができます。そのわけは、葉、茎、根に水と栄養分を蓄えることができるからです。そしてサボテンの種類は交配種などをいれても非常に数が多いです。

サボテンの原産地はアメリカ、メキシコ、中米などのアメリカ大陸です。そのサボテンがヨーロッパに伝わったのはコロンブスによる新大陸の発見だと言われています。コロンブスは発見した新大陸をインドと思い込んでいたため、サボテンの実に「インドイチジク」なんて名前を付けたそうです。その名残で今でもイタリアのシチリア島ではサボテンの実がそう呼ばれています。その後サボテンはヨーロッパを経て17世紀ごろに日本に伝わりました。

日本はそのとき江戸時代前期です。サボテンを日本に伝えたのはポルトガル人だとされています。サボテンという名前はポルトガル語の「Sabão(シャボン=石けん)」が由来と言われていて、日本にサボテンが伝わった当時、船乗りたちはサボテンを手の油汚れを落とす洗剤として使っていたそうです。それで日本では「シャボンの手→シャボンテ→シャボテン」になったという説があります。ですのでサボテンという名前は完全に日本語で、海外では通じません。サボテンは英語では「カクタス」でと言い、西洋系の言葉ではどこもこれと似た名前で呼んでいるそうです。

サボテンの花言葉は「偉大」「温かい心」「枯れない愛」「燃えるような愛」「内気な乙女」などほかにもたくさんあります。
トルコでは昔、愛の告白としてサボテンが使われるようになり、プロポーズの際に男性から女性へサボテンを贈る習慣がありました。このようなことからも、贈る相手を温かい心で大切に思い続ける「温かい心」「枯れない愛」「燃えるような愛」などの意味合いの花言葉を持ったとされています。一方「内気な乙女」という花言葉は、サボテン自体は育てやすいものが多いものの、花を咲かせるのは難しいということから由来すると言われています。あのフォルムからは想像のつかないほど、熱い花言葉があるのですね。

なぜサボテンは観葉植物の中でこんなにも人気なのでしょうか?
理由のわけには、育てやすさやフォルム、種類の多さが挙げられます。サボテンは日当たりの良い場所に置けば、水やりの頻度が少なくても育ちます。現代の忙しい人たちでも容易に育てることができます。基本的には鉢で育てるので、場所を取らないのもポイントです。
サボテンは小さくてかわいらしいタイプから、寄せ植え、またスタイリッシュなインテリアとして好まれる大型のタイプなど、さまざまな種類があります。花をつけるところも女性に人気の理由だと思います。

サボテンとまではいきませんが、観葉植物の中で人気があるポトスについても紹介していきます。

観葉植物を育てている人でないと、聞いたことがないかもしれません。しかし見たことがあるという人は多いんじゃないでしょうか!
ポトスはサトイモ科のつる性の着生植物です。ソロモン諸島原産であり、一年を通して高温多湿を好みます。ポトスは気温8度~20度までの日の当たる場所で管理します。春先から秋ごろまでは多湿を好むため水は多めに、冬の間は土を乾燥気味に管理するとよいと言われています。屋外で育てることができるポトスも存在しますが、多くの場合室内で育てます。

ポトスの特徴の一つは、葉にワックスをかけたような光沢があることが挙げられます。そのツヤツヤした光沢感が美しくインテリアに使われることが多いです。そしてつる性の植物の特徴でもある登坂性があり、上に向けて育てると、光合成をもっとしようとして葉が大きめに育つようになります。逆に、下に向けて育てると、ほかの巻き付く植物を探すために葉が小さくなっていきます。ポトスは地面に置くのではなく、棚の上などに飾ったりするとおしゃれですね。下に垂らすだけでなく、横に這わせても雰囲気が出ます。一方鉢の真ん中に支柱となるものを刺して、上に伸ばすのもいいと思います。圧倒的な存在感が出ると共に、ポトスが上に伸びるに連れて、葉がどんどん大きくなっていくのがわかり楽しいと思います。ポトスという名前はスリランカでの呼び名に由来しています。日本には明治時代に入ってきたと言われており、観葉植物として愛されてきました。

ポトスには「永遠の富」「華やかな明るさ」「長い幸せ」という花言葉があります。
「永遠の富」とも呼ばれるので、風水としても金運が良くなると言われているそうです。「長い幸せ」は、ポトスが葉を絶やすことなく蔓を伸ばすことからそういわれているそうです。
ポトスの人気の理由は、育てやすさやインテリアになるということなどがあげられます。初心者にもおすすめの観葉植物だそうで、まずポトスから育てはじめる人も多いようです。育て方次第で、姿を変えるのはポトスの魅力ですね!自分の好みに合わせて育ててみると楽しいと思います。

観葉植物について少し触れましたが、意外な歴史や花言葉があることがわかりますね!手軽に育てられるものも多いのでぜひ挑戦してみるといいと思います。お部屋がイキイキした空間に生まれ変わるかもしれません。プラントハンターとまではいきませんが、おもしろい植物や珍しい植物を探しにでかけるのもいいと思います(笑)!

まとめ

今回は植物を含め、現代のプラントハンターとして西畠清順さんについて詳しく紹介しました。植物の奥深さというのを感じていただけたのではないでしょうか。そして西畠清順さんがちょっと変わっている方だなというのも感じます(笑)しかし、植物への愛と仕事に取り組む姿勢にはすごく感動しました。西畠清順さんの本を参考にしながらこの記事を作成しましたが、紹介したエピソードは一部に過ぎず、ほかにもたくさんのエピソードが載っているので興味のある方はぜひ読んでいてください。

西畠清順さんが集めてきた植物で、驚いた人、笑った人、中には涙を流した人もいると思います。植物には私たちの心に小さな幸せを届けてくれます。これからも西畠清順さんはプラントハンターとして世界中を飛び回り、私たちの心を豊かにする植物を運んできてくれると思いますが、身体に気をつけてがんばってほしいです!植物を採るということで問題とされていることもありますが、それ以上に植物が私たちに与えてくれるものは大きいと思います。そして一生出会わなかったかもしれない世界中の植物と触れ合う場を提供してくれる西畠清順さんの活動には、これからも注目していきたいですね!!!

最後に西畠清順さんの植物への想いをみなさんにも伝えようと思います。
「植物は文化のもとであり、植物は宗教のもとであり、植物は生命のもとである。」
と西畠清順さんは語ります。

私たちの体は、すべて植物によって成り立っていて、地球上で起こっている喜怒哀楽すべての出来事も、植物があって成り立っているということは間違いありません。植物がないと私たちは生きていけないのです。これからも私たち人間は植物に助けられ、喜ばされ、悲しまされるでしょう!この記事で少しでも植物のパワーを感じていただけたら幸いです。

それでは次回も達人をご紹介させて頂きますので、お楽しみに~(^^)/